2019.07.23

20勝して一人前。権藤博が輝きを放った
「ピッチャーが天下の時代」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「別に僕は、30勝を目指していたわけじゃなくて、プロに入る以上は最低10以上は勝ちたいな、と思ってたわけですよ。ところが、そんな満々たる自信もなかったのが、やってる間に、人を見てる間に、なんだ、これだったらオレのほうが......と思うようになって。終わってみれば、30超えてた、みたいな」

 今の投手たちの印象を聞く間もなく、急激に時代がさかのぼる。権藤さんは佐賀の鳥栖高からノンプロ(社会人野球)のブリヂストンタイヤに進み、ここで投手として成長を遂げた。徹底的な走り込みによって、スタミナだけは絶対の自信を持っていたという。

 そのノンプロ時代の4年間、1957〜60年のプロ野球の最多勝投手が凄まじい。まず、パ・リーグは57年に西鉄の稲尾和久が35勝、58年も稲尾で33勝、59年は南海(現・ソフトバンク)の杉浦忠で38勝、60年は大毎(現・ロッテ)の小野正一で33勝。セ・リーグは57年に国鉄(現・ヤクルト)の金田正一が28勝、58年も金田で31勝、59年は巨人の藤田元司で27勝、60年は巨人の堀本律雄で29勝。

 それ以前にも30勝投手はいるが、権藤さんにとってのプロ入りまでの準備期間は、特に30勝前後の投手が並んでいるのだ。

「今から考えたら、自分でない自分がやったぐらい、すごい記録だと思います。長年、野球に携わってきて、ピッチングコーチも長いことやって、監督もやって、本当に自分でないような自分を経験できた。だから、実は権藤っていうのは2人いて、1人は投げた権藤と、もう1人は肩を痛めてすごい苦しんで、そこからコーチやって、監督までやれたっていう、2人の権藤がいる、みたいな」

 活躍したのがルーキーイヤーからの2年間のみで、翌年以降は10勝、6勝となると、そういう感覚になるものなのか。まして1年目の権藤さんは勝利、登板、投球回、奪三振、防御率、完投、先発、どれもリーグ1位の成績で当然のように新人王、沢村賞も獲得している。その背景には当時の中日監督、濃人渉(のうにん わたる)とのノンプロ時代からの関係性があったという。