20勝して一人前。権藤博が輝きを放った「ピッチャーが天下の時代」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 待ち合わせに指定された場所は都心にあるテレビ局関係のビルの前だったが、日曜日の午前中で人通りはなく、僕らはすぐ権藤さんに気づいた。挨拶をすると軽い会釈と同時に「そこに喫茶店がありますから」と言われ、後に続いた。コーデュロイのジャケットにネクタイというスタイルはいたって紳士的で、スッと伸びた背筋が若々しい。

 名刺交換を終えると権藤さんはアイスティーを頼み、やや前かがみの姿勢で黙って座っている。ファーストフード的な雰囲気の店ながら先客はゼロで、BGMも控えめな音量。にわかに沈黙が広がり、話のきっかけをつかむべく取材主旨を説明した。35勝に圧倒されたことから今の好投手の活躍まで伝えたが、その間、目はずっと伏せられ相槌もない。僕は丁寧になでつけられた髪と眼鏡の奥のまぶたを見続けるほかなく、緊張が走った。

 が、日本ハム対ソフトバンクのプレーオフで先発したダルビッシュ有、八木智哉、斉藤の名前を挙げると、権藤さんはひとつ咳払いをした。まぶたが微細に動いていた。

「あのぅ、やっぱり、近年になく、ピッチャーが充実してる時代が来た。ね?」

 僕は反射的に「はい」と返事をし、なんとか取材の立ち上がりを迎えられたことに安堵した。「充実してる時代」と表現されたことがうれしかった。

「われわれ、ピッチャー出身としては『今は打高投低の時代』っていわれるのはすごく面白くない。はっきり言って、面白くない」

 姿勢は前かがみのままだが、目は完全に見開かれている。表情は穏やかだった。

「実際は、本当は、野球ってのはピッチャーが中心で、まさしく、僕らの時代はピッチャーが天下の時代でね。いちばんいいのは『子どもの頃からピッチャーで4番』っていう時代。みんなそれで通用したから、まあ、20勝はやって一人前で、30勝すればスーパーエース、みたいな」

 68歳(当時)にして、「みたいな」という言葉遣いは意外だった。今の時代と「ピッチャーが天下の時代」が連なって語られ始めていることはもっと意外だが、当時の投手は皆、30勝が目標だったのだろうか。

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