嫌だった「PL史上初の補欠主将」。平石洋介を仲間の言葉が変えた (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 平石が主将として腹を括ったのは、清水の薫陶、そしてチームメイトの言葉だった。

「思ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。お前が言うことなら、みんな納得するから」

 八尾フレンド時代からチームメイトでエースの上重聡や、副主将の三垣勝巳らが先頭に立って、主将のサポートを約束してくれた。

 チームメイトの後押し。それは、平石のアピールが、自分からチームに向けられた瞬間でもあった。

「最初は『自分は控えやから......』みたいなうしろめたさがありました。でも、同級生の言葉で『責任を持ってやろう』と腹を括れたのはありました。キャプテンとして役割をまっとうしようと思いましたね」

 平石いわく、この世代は「まとまりがよかった」と言う。

 1990年代までのPL学園と言えば、「名門中の名門」と呼ばれ、全国から精鋭が集まっていた。故に我が強く、チームにまとまりが欠ける年代も少なくなかった。だが、そういった気質が平石の世代にはなかったというのだ。

「『PLのキャプテンは大変やろう?』って聞かれるんですけど、僕らの代はそんなことはまったくなかった。僕自身、キャプテンとして苦労した記憶がないくらいですから」

 チームに結束力があったのは、コーチの清水も認めていたことである。ただその一方で、このような評価も下していた。

「僕が見てきたなかでは、5本の指に入るくらい弱かったかもわからんですね。それくらい目立った子がいませんでしたから」

 本塁打を量産する長距離打者がいなければ、150キロ近い速球を投げるような本格派もいない──それは、主将の平石も理解していることではあった。だからこそ、そのチーム力を、清水をはじめとする指導者に示す必要があった。

 清水は「僕にものを言ってきたのは福留(孝介)と平石くらい」と目を細めていたが、当の平石は「そんなに主張していた記憶はない」とかぶりを振る。

 具体的な会話の内容までは覚えていないと言うが、今の平石に根付く信念、その想いをぶつけたことだけは脳裏に焼きついている。

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