2019.06.18

エース引き抜き、徹夜で連投…。
土橋正幸が語っていた昭和のプロ野球

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「ちぎっては投げ、で、確かに試合時間、短かったね。当時、7時に始まって9時半頃に終わるとさ、守ってる先輩に『ダメだよ』なんて言われました。遊びに行くのが忙しいから、2時間半でも長いって。はっはっは。だから、モタモタモタモタやらなかったよね。

 だいたい、このバッターがきたらどういう組み立てで、っていうのは頭ん中で描いて計算してましたから。計算するためには一生懸命、いいバッターほど研究しました。わたしは魚屋のあんちゃんだったけど、野球だけは勉強したんでね。でなきゃ、ちぎっては投げ、なんてできないですよ」  

 聞けば当たり前のように感じるが、テンポよく投げ込む”江戸っ子投法”はボールの勢いとコントロールで成り立つものと解釈していた。実際、土橋さんのピッチングを稲尾が解説した本にも、〈余計な駆け引きを必要としない、圧倒的な球威が土橋投手を支えていた〉〈コントロールは悪くないが、実はコーナーを突く細かい制球力で組み立てていたわけではない。ストライク先行を心がけていた〉と記されている。ゆえに計算や研究をあまり必要としないのでは? などと思っていたが、じつは違った。”江戸っ子”の気っ風のよさ、威勢のよさ、というイメージに引っ張られてしまっていたのか……。

「プロのバッターっつうのは1番から8番までね、ピッチャーを除いたら、甘い球なら誰でもホームランを打つぐらいの力はあるわけでしょ? だからそのへんも常に計算して投げてました。で、いいバッターの前にランナー出さないとかね、そういうのを全部、考えながらやってましたから」

 話題はそれから「いいバッター」へと移り、南海戦で野村克也に打たれた決勝ホームランの思い出が語られると、野村が楽天の監督だった当時、沖縄・久米島のキャンプまで田中将大を見に行った話につながった。図らずも田中が出てきたところで、僕は沢村賞の要望の件について尋ねた。