オリックスが「世界のナカガキ」獲得。MLB選手もその運動学に心酔 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sportiva

 中垣さんは、続けてこう指示を出した。

「両足の幅を少し狭めて下さい。つま先を外に向けずに、まっすぐ、あとは重心を少し前に出して、それだと出しすぎなので少しうしろに......いや、それではうしろに傾け過ぎです。もう少し、そう、その位置で、いいですか、もう一度、同じように押しますから抵抗して下さいね」

 驚いた。今度は動かされることなく、耐えられる。体を使うとはこういうことか。脚を使えているとは、こういうことだったのか。

「右足が地面に噛んでくれているでしょう。右足を地面に噛ませるためには、体をこういうポジションに持ってこないとダメで、もしそのポジションに体を入れられないとするならば、筋力や柔軟性、どこかしら何かが足りないからなんです。ならば、どういうトレーニングが必要なのかということが見えてきますよね。脚を使うとはどういうことなのかを体感できたら、理屈を説明すれば、選手は『なるほど』となる。だから選手にも、こういう目的の、こういうトレーニングが必要なのかという意識づけができるんです。力を効率的に発揮するために何を意識すればうまくいきやすいのかを理解して、そこへ向かう気持ちを持ってさえいれば、目的地へ辿り着くための効率が大きく変わってくるのではないかと思います」

 だから中垣さんが選手に投げかける言葉は、いつも具体的だ。

「こういうスクワットをやってみよう」
「両脚でできた動きを、片脚でやろうか」
「早い動きで同じような動き方ができるように、ジャンプを入れてみよう」
「今度は同じ動きで、力を発揮する方向を変えてみようか」
「この動きを緩やかに、精度高くやるために、横方向のドリルをやったほうがいい」

 打ってみよう、投げてみようという最終段階に持っていくために、中垣さんは「動かない地面とのやりとりをどううまくやるかというのが第一歩」だと繰り返す。そのやりとりは脚で行なうわけで、つまり脚をどう使うかということは、打つ、投げることへの第一歩なのである。「脚を使え」と言われて育ってきた野球選手に何か新しいことを伝えているわけではなく、なんとなく当たり前のように宙を彷徨(さまよ)っていた言葉に、確固たる実体を伴わせる。それが"ナカガキ・ステーション"の正体だ。

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