平成元年にクロマティが残した言葉「日本の野球にはひらめきがない」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 日本のファンに心の底から受け入れてもらったと感じたのは、1986年の10月に神宮で打った代打満塁ホームランの時だった。あの年、ジャイアンツはカープと優勝争いをしていて、僕は4番を任されていた。そんな最中、絶対に負けられないスワローズ戦で僕は頭にデッドボールを受けて、病院へ運ばれた。

でも、その次の日、僕は神宮へ行って、ボス(王貞治監督)に「ダイジョーブ、ダイジョーブ」と伝えたんだ。それでもスタメンからは外れて、同点(3-3)の6回表だったかな。満塁のチャンスに、代打で出た。そして、左中間のスタンドにホームランを打ったんだ。神宮球場はバンザイ、バンザイの大合唱。

 デッドボールを受けた翌日、どうしてバッターボックスに立てたのかとよく訊かれたけど、メジャーでプレーしていたときもそうしていた。僕にとっては特別なことじゃなかった。

 前夜、病院にいたときから次の日、ホームランを打てる予感がしていたんだ。あの後、ナカハタさん(中畑清)が、「クロウは日本人だ」とみんなに話してくれた。それを聞いて、僕は誇らしい気持ちになった。ナカハタさんほどの選手がそう言ってくれる。ナカハタさんはとても誠実。僕はナカハタさんが大好きだった。神宮でホームランを打ったあの日、アウトサイダーだった僕はジャイアンツに受け入れられて、ファンにも受け入れられた。僕にとっては神話のようなストーリーだったと思ってるよ。

 チューインガム?

 あれは僕の気分を表すアイテムだよ。膨らませるガムの色がブルーの時は最悪、グリーンの時はノーグッド。オレンジの時は普通の元気、フィーリング。ピンクの時はサイコーに元気。気分によって色を変えていたんだよ。知らなかったでしょ(笑)。

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