2019.05.08

潮崎哲也が語った短期決戦の投手心理。
デストラーデ移籍は痛手だった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

高津臣吾は気になる存在だった

当時を振り返る潮崎氏 photo by Hasegawa Shoichi―― 一方、1993年のスワローズには、リリーフエースとして高津臣吾投手が台頭します。共にシンカーを決め球に持つ、同じサイドスロー投手でした。高津投手に対してはどんな意識を持っていましたか?

潮崎 同い年ですし、同じサイドスローということもあって、やっぱり気になる存在でした。「実にコントロールがいいな」とも思っていましたね。周りからも、「高津は、性格はいい加減だけど、ピッチングはとても几帳面だ」という話を聞いていたので、そのあたりも気になっていました(笑)。

――誕生日もわずか1日違いですよね(笑)。アマチュア時代には接点はあったんですか?

潮崎 接点は何もなかったです。当時は交流戦もなかったし、ほとんど話をしたこともなかったですね。選手名鑑を見るのが好きだったので、「あぁ、あいつも同い年なのか」というのは、よく知っていましたけど。ただ、去年までは僕も(西武の)二軍監督だったので、(現ヤクルト二軍監督の)高津とはファームで何度も顔を合わせましたけどね(笑)。

――この頃、黄金時代を迎えていたライオンズで、1968年生まれでプロ3年目、4年目の潮崎さんはまだ若手選手という位置づけでしたね。

潮崎 試合に出ているメンバーの中では最年少と言ってもいいポジションでしたね。だから、あんまり責任感も感じていなかったし、”やんちゃな末っ子”みたいな感じで、のびのびとプレーすることができました。僕にとっては、とてもありがたかったですね。

――デストラーデ選手に「潮崎さんの印象は?」と尋ねたら、「子どものようなルックスで、『うちに遊びに来なよ』と言われて、家に入った途端に殺されるような存在」と言っていました。要は、「かわいい顔をしているのに、マウンドではえげつないボールを投げる」という意味だそうです(笑)。

潮崎 (笑)。

――少し先の話となりますが、1997年には東尾修監督率いるライオンズとスワローズの日本シリーズが行なわれ、この時はスワローズが4勝1敗で圧勝しました。この時点では潮崎さんは中堅選手になっていました。

潮崎 そうですね。自分の置かれている立場は大きく変わりました。東尾監督になって、選手の顔ぶれもガラッと変わって若返りましたし。それにしても、あの時のヤクルトは強かったですね。各選手の役割分担がきちっとしていて、まさに”横綱相撲”で敗れた気がします。あの時のヤクルトこそ常勝チームの雰囲気があったし、かつて西武がやっていた野球をヤクルトに見せつけられたように思います。本当に強いチームでした。