日ハム・白村に送りたい、投手→打者転向の成功者・雄平の言葉 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 とはいえ、プロで7年間もピッチングに打ち込んだ人間にとって、打者転向は戸惑いの連続だったのはないか。

「壁にぶち当たったかと聞かれれば、本当にゼロからのスタートだったので......ポジティブというか、ヘタクソな人はうまくなるしかないんですよ。この感覚わかりますか? ほとんどが失敗なんですけど、ちょっとずつうまくなっていく喜びがあり、練習はすごく楽しかったですね。バッティングはピッチャーが投げたものに対して受身なのでちょっと違うんですけど、守備や走塁での打球判断やスタートなど『あっ、やりたいことができた』とか、ちょっとした喜びが積み重なっていくことで『もっと、もっと』という気持ちになってきました。

 レギュラーになりたいという意識が明確になったのは、一軍に昇格してからで、試合で打てたら『もっと打ちたい』ってなるし、打てなければ『悔しい』と。そうなると、今度はたくさん試合に出るにはレギュラーになるしかないんだと......」

 野手として結果を残せた要因について聞くと、「コーチや先輩方のアドバイスがすべて正しいと思って、それに挑戦できたことじゃないですかね」と言った。

「打ち方はもちろん、守備や走塁でも、ほんとうにたくさんのことを試しました。自分には合わないことだったり、アドバイスを理解しきれなかったりしましたが、挑戦を続けることが進歩の重要な要素だと思っているので......。この考えは今も同じです」

 まもなく終わろうとしている"平成"の時代に、投手から打者に転向して活躍した選手は、雄平のほかにもいる。

「嶋(重宣/現・西武コーチ)さんや糸井(嘉男/現・阪神)さんの存在には勇気づけられました。ふたりとも首位打者になっていますし、嶋さんは高校(東北高校)の先輩でもあります。僕はふたりを追いかけて練習してきました。

 また西武の木村文紀とは、お互いが投手の時にハワイのウインターリーグで一緒にプレーしたという"不思議な縁"もあり、「今はふたりとも一軍にいますけど、ファームにいる時はよく話をしましたし、仲間意識があります。今も成績をチェックしながら、応援しちゃうというか......」と言って笑った。

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