2019.04.13

オリ平井正史コーチが説く救援論
「スタートがよければ1年間持つ」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 現役時代、平井のプロ初登板は1994年9月10日の対近鉄戦、無死満塁の場面である。まして同点の9回裏、一打サヨナラ負けという状況で、高卒1年目にしてマウンドに上がった。この時、当時の仰木彬監督に平井の登板を進言したのが、投手コーチの山田だった。

 結果、最初の打者を三振に打ち取るも、次打者に犠牲フライを打たれてゲームセット。負けはしたが、失点を怖がらずに投げた。ランナーがいる、いないにかかわらず、目の前のバッターを抑えて3つアウトを取ればチェンジ、という意識が備わった。

「僕の場合、厳しい場面の方が集中できて、やりがいを感じていました。『ここで抑えたらヒーローだろ』と思うこともあったし、逆に『打たれたらしゃあない、代わるだけや』と割り切って投げられた。そういう意味では僕自身、"投げたがり"でしたけど、コーチとしては変な話、いつでも『はい、行きます!』ってどんどん行けるピッチャーばっかりだったら、基本的に楽なんですよ。でも、僕も経験した通り、なかなか常に同じ気持ちではいられないですから、そこは選手みんなにお願いして。『さあ行こう。やられたら次、後ろにおるから行ってこい。あとは任せろ、こっちに』ということは言ってます」

 平井が21年間の現役生活にピリオドを打ったのは201410月。翌15年からオリックスの二軍投手コーチを2年間務め、17年から一軍に昇格した。同年は1年目の黒木、2年目の近藤が抜擢され、抑えの平野佳寿(現・ダイヤモンドバックス)につなぐ勝ちパターン継投が確立。苦境もあったが、シーズン終盤に若手投手陣が台頭。

 オフに平野は海を渡ったが、日本ハムで実績十分の増井が加入して抑えにはまり、昨年のブルペンは充実した。この2年間トータルでは、平井による各投手への指導、監督への提案が実を結んだ部分が大きかったのではないか。