山田久志が語る谷繁元信獲得秘話。「名古屋って、難しいところだよ」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

――まず、ジャイアンツよりもドラゴンズを選んだ理由はどのようなものだったのでしょうか。条件面で言えば、誰もが前者を選んだと思うのです。

「仙さんには何回も断りを入れていたんだけど、あの演技力と話術には負けました。やっぱり涙を流されたら...。同期とは言え、先輩じゃないですか。ミスターにも断っていますし、と言うと『今から俺がミスターに言ってくる。(解説をしていた)NHKにも言ってくる。俺に任せてくれ。それならいいか?』って。最後は『あなたにそこまでやってもらわなくたって、私が行きます』と」

――ピッチングコーチ、ヘッドコーチを経て監督に就任してすぐに、ドラゴンズ10年の計で、名古屋に縁もゆかりもない谷繁をFAで獲得しました。当時、中村武志という地元ファンにも人気のあった不動のキャッチャーがいる中での英断は、大きなバッシングも受けました。OBや球団にどっぷりと浸かっている人ならば、絶対にできなかった改革ですが、結果的にこれがなければ黄金時代は築けなかった。

「中村もまだまだレギュラーを張れる力はあったんだけれども、いろんな故障が出てきていたし、センターラインを強化せんことにはこのチームの未来はないと思っていたからね。私はピッチャー出身だから余計に二番手のキャッチャーの弱さも見えた。中村には伝えたんです。『実は谷繁を取りに行くんだけれども、お前は強力な二番手として助けて欲しい。それでコーチ業をつけるから、その役割をしながら貢献してくれんか』と。だけど、『いや、私はまだ現役で勝負したいんです』ということで横浜に出したんです」

――基本はまず、谷繁を入れるということだったんですね。

「そうです。ドラゴンズの先を考えたときにせっかくいい素材のピッチャーがいるのにこのままでは伸びない。谷繁には注意したことがあるんだけど、若手のピッチャーで経験のない者をあんまり怒ったらいかんと。教えるのは構わないけど、怒ったら委縮してしまうから、そこはちゃんとメリハリをつけてやってくれよと」

――谷繁がピッチャーを育てたという意味でも大きかったですね。いかにして説得したのでしょう。

「谷繁に言ったのは『名古屋って、おそらく今、君が思っているように難しいところだよ』と」

――「難しいところだ」と?

「ズバリ言ったよ。その代わり、うまく街やチームに溶け込んだら、街が全体的に認めてくれる、これは他のところにはないぞと」

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