岡林洋一VS打者・石井丈裕。勝負を決めたのは石毛宏典の声だった (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――初戦に161球、第4戦に109球を投げ、中3日で臨んだ第7戦でもすでに130球以上も投げていたのに、「もっと長くやりたい」と思っていたんですか?

岡林 はい。「もうちょっと楽しみたいな」という感じですね。この頃になると、もう疲れも感じていないんです。「完投」がどうのこうのではなく、「まだまだ続いてもいい」「もっと投げていたい」という思いでしたね。

――延長10回表、ワンアウト三塁の場面。秋山幸二選手の犠牲フライでついに西武が勝ち越し、1-2とリードを許しました。

岡林 これは難しい場面でしたね。秋山さんを敬遠したほうがいいのか、次の奈良原(浩)で勝負したほうがいいのか。このとき僕は秋山さんを抑えられると思っていました。それに、奈良原には大学時代によくヒットを打たれていたイメージがあったんです。それで勝負をしたけど犠牲フライを打たれてしまった。勝負した結果です。

――こうして、1992年の日本シリーズではスワローズは善戦むなしく3勝4敗で敗れました。改めてこの年のシリーズを振り返っていただけますか?

岡林 僕を成長させてくれたシリーズでしたね。自分の持っている力以上のものが出たと思うんです。あの頃は「古田(敦也)さんのリードに従って、そこに投げさえすれば抑えられる」と思って投げていました。そして、この大舞台でそれはほぼほぼできたと思います。

 翌年、チームは日本一になったけど、僕は故障で投げることができずに、自宅で仲間たちの胴上げシーンを見ました。僕はこの1992年を境に成績が下降していきます。だからこそ、やっぱりこのシリーズは自分を成長させてくれた忘れられないシリーズなんです。おかげで、今でもこうしてあの年のことを話す機会をいただけるんですからね。

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