転職サイト登録→まさかのドラフト7位。26歳で始まる奇跡のプロ人生 (2ページ目)

  • 加来慶祐●文 text by Kaku Keisuke
  • photo by Kyodo News

「地元に残してきた家族に迷惑をかけてまで野球は続けられない」

 そう決断した奥村は、移籍2年目の2018年に「今年いっぱいで辞めさせてください」と後藤隆之監督に直訴する。強く慰留されたが、奥村の決意の固さに了承せざるを得ず、2018年シーズンを最後に社会人野球から身を引くことが決まった。つまり、ドラフト指名がなければ、野球そのものから引退しなければいけなくなったのだ。

「地元で看護師を続けながら僕のわがままに付き合ってくれた妻のもとへ帰ろうと思いました。子育ても任せっきりで、本当に申し訳ない気持ちのなかで野球をしていたので......。転職サイトにも登録して、真剣に仕事を探していましたよ。1日に100件ほど情報がメールで送られてくるのですが、その対応にもあたふたして......」

 昨秋のドラフト当日、一縷(いちる)の望みにかけていたが、名前が呼ばれることなく時間だけが過ぎていく。「いよいよ野球とお別れする時がきたか......」と天井を見上げた時、福岡ソフトバンクホークスが7巡目で奥村を指名したのだ。

「ないものだと思っていた野球人生が、まだこうして続いている。そして今回、夢にまで見たプロ野球への挑戦というチャンスをいただけた。人生、ホントに何が起こるかわからないものですよね」

 そんな奥村にとってのプロ1年目キャンプ。昨シーズンの被本塁打がリーグワースト(163本)だったことを受け、チームは投手陣に速球の質と精度向上を求め、第1、2クールでのブルペンはストレートだけを投げるように指示されていた。

 ブルペンでは同期入団のドラフト1位の甲斐野央(東洋大)や、2位の杉山一樹(三菱重工広島)が150キロを超すストレートを連発して首脳陣を唸らせるなか、奥村は浮かない表情でこう漏らした。

「球速で若い甲斐野や杉山に対抗しようと思っても苦しい。自分がアピールすべきポイントは真っすぐじゃないので」

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