藤原恭大が語る知られざる苦悩。ロッテで54年ぶり開幕スタメンなるか (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 高校2年、3年ではU18で世界レベルのボールに度肝を抜かれた。

「2年の時に対戦したアメリカのピッチャーがとにかくすごくて......150キロは楽に超えていたと思います。引っ張ったつもりの打球がすべて逆方向にしか飛ばなかった。あの時、『このままじゃ無理。パワーをつけないとこの先やっていけない』と本気で感じました」

 高校入学当初から「ドラフト1位でプロに行きたい」と藤原は言い続けてきたが、目指している場所がとてつもなく高いところであると実感。帰国後はトレーニングと食事への意識も格段に上がり、体づくりに努めながらひたすらバットを振った。

 その結果、3年夏には「高校生が相手なら、どんな投手がきても打てるというくらいになりました」と語るまでにバッティングが成長。確実性、パワーも備わり、誰もが認めるドラフト1位候補となり、3球団競合の末にロッテへと入団することが決まった。

 ドラフト後、目の前に迫ったプロの世界について尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「清宮(幸太郎/日本ハム)さんでも1年目に打てなかったのを見ると、やっぱりプロは異次元だと思いました。自分のバッティングは、清宮さんと比べたらまだまだしょぼいので、もっと磨いていかないとダメだと思っています」

 清宮は、藤原が2年の時に日本代表でチームメイトとなり、「高校生では日本一の技術を持ったバッター」と話していた選手である。そんな"異次元"のバッターと見ていた清宮でさえ、プロの世界は甘くなかった。

 ただ、こうした情報を持てたことは藤原にとってプラスになったことだろう。このキャンプで紅白戦、シートバッティング、練習試合と17打席ノーヒットになった時も、どこかで「打てなくて当然」という予防線を張っていたに違いない。プロ入り前、藤原はこんなことも言っていた。

「まずはプロの世界がどんなレベルなのかを知りたいというのが一番。通用しないのはわかっているんですけど、どこのレベルまでは通用するのか、なにがどれだけ足りないのか。それがわかれば練習方法も考え方も変えていけますから」

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