ヤクルト石川、寺原、近藤が運命的邂逅。01年ドラフト、驚きの秘話 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Sportiva

石川 いま(チーム関係者が)近藤を探していますが、始めましょうか。

―― よろしくお願いします。

石川 今だから話せますけど、僕は2001年のドラフトで、ほぼほぼ巨人に(自由獲得枠で)入団することが決まっていたんです。僕も行きたいという感じでしたし。そんななかで、テラが甲子園でバーンと全国区になると、巨人が「ドラフトは寺原でいこう」となって......結局、僕はフラれたんです(笑)。

寺原 僕はどこどこが「指名します」しかなかったですから。近藤にその話を聞くまでは、そんなことまったく知らなかったですからね。

石川 近藤がヤクルトにくるまで、どういう経緯で近鉄に入ったのかも知らなかった。あとあとその話を聞くと、そんな面白いことになっていたのかと。テラはあの時、(指名は)何球団だったの?

寺原 4球団です。けど、いちばん熱心だったのはダイエーでした。ほぼ毎日、高校のグラウンドに顔を出してくれて。でも僕は"クジ"でしたからね。高校生だったので断る理由もなかったですし、「どこが引くんだろうな」くらいの気持ちでした。

石川 高校生は逆指名できなかったから、完全に受身だもんな。ドラフトでクジを引かれるってどんな気分なの? 4分の1の確率だったけど「この球団がいい」みたいなものはあるわけじゃん。正直、あったよね(笑)?

寺原 (高校の)監督が東海大出身だったので、原(辰徳)さんとのつながりもあり、最後の方は「巨人」と言っていたんです。だから、ダイエーが交渉権を獲得した時に、ふつうは学校で胴上げするじゃないですか。あれを断ったんですよ。僕はダイエーでよかったんですけど、記者会見では「これから考えます」と。

石川 へー、そうだったんだ。九州は地元だから、ダイエーでよかったと勝手に思っていた。

寺原 今となってみれば、当時ダイエーの監督だった王(貞治)さんが当たりクジを引いてくれて......王さんのサインが入った当たりクジは今も額に入れて、家に飾っています。それはなかなかないことですので、すごくよかったと思います。

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