巨人・高田萌生が「松坂大輔を卒業」。防御率27.00から逆襲する (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 当の高田も「正直言ってもう少し高い順位かなと思っていました」と漏らす。それと同時に、自分の評価を知って納得できる部分もあった。

「順位が低いということは、自分の課題が多いということ。それは自分でもわかっていましたし、プロでレベルを上げて見返せばいいと思っていました」

 課題は数多く自覚していたが、とくに高田が感じていたのはストレートの球質だった。スピードガンの数字こそ出ていたものの、強いシュート回転がかかり、抜け球も多かった。3年夏の甲子園初戦では、盛岡大付(岩手)の強打線につかまり、5回2/3を投げて11安打10失点でノックアウトされている。

 勇んでプロ入りした高田が1年目に過ごした場所は、ほとんど三軍だった。自分より高い指名順位の選手が続々と一軍チャンスをつかむだけならまだしも、自分より下の6位指名で入団した同期生の大江竜聖は二軍で好投を重ねていた。だが、高田に焦りはなかったという。

「客観的に見ても大江は二軍で投げられるピッチャーでしたし、僕はまだそこまでじゃないなと感じていました。まずはしっかり三軍でやることを考えていました」

 三軍で取り組んだのは体づくりだった。高校時代はトレーニングといえば走り込みが中心。プロに入ってウエイトトレーニングの方法から学んだ。とはいえ、プロ1年目ははっきり言ってトレーニングの効果を感じることは少なかった。明確に効果を感じるようになったのは2年目に入ってからだ。

「2年目は1年間を通じて体が強くなっていく実感がありました。体を強くしていきながら技術を高めていったことがよかったのかなと。ただウエイトトレーニングをやるだけでなく、自分の体と連動させることが大事なんだと思いました」

 技術面も大きな変化があった。それまでの高田の投球フォームは、尊敬する松坂大輔をコピーしたものだった。本人は「なりきるくらいのイメージ」と言う。自分自身が松坂になったつもりで、同じようなフォームで投げていると、「松坂大輔」が憑依(ひょうい)してくる瞬間があるという。

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