敵地で田尾コールが起こった最終戦。「野球人生の頂点はあの胴上げ」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 楽天球団誕生の1年目は38勝97敗1分の最下位。田尾は3年契約ながら1年で解任となった。クビになる際には、とにかく今いるスタッフは極力残してもらいたいということだけを伝えてチームを去った。

 最終戦はヤフードームでのソフトバンク戦であった。ビジターでありながら前代未聞のことがここで起こる。スタンドからは田尾コールが巻き起こり、最下位チームを率いた監督の胴上げが選手によって行なわれたのだ。ファンも選手も理解していた。田尾解任に反対する団体も立ち上がり、署名運動まで起こった。

「胴上げなんて受けられないって断ったんですよ。でも選手たちが『僕たちの気持ちです』と言ってくれて、そのひと言がうれしくて。やっぱり僕が上(球団)にいろいろ言っていたのは感じてくれていたのかな。僕は三木谷さんに呼ばれたから三木谷さんに恩返しをしたかったし、プロ野球をもっと学んで野球を好きになってもらいたかったのですが...。僕の野球人生の中で一番の頂点は、あの最後の選手たちからの胴上げなんです」

 結果こそ最下位でもプレーヤーズファースト、ファンファーストの理念を最後まで貫いた田尾が東北にプロ野球球団の根付きをもたらしたのはゆるぎない事実だ。田尾が初年度の監督で本当に良かったと思う。

 最後に、その誰にも媚びない真っ直ぐな性格は幼いころからですか?と訊くと、「大阪の西区で鉄工所をやっていた親父もどちらかというとそういう一匹狼的なところがあったんです。やっぱり人に雇われてというんじゃなくて、小さくても自分で納得する経営をするという人でした。隣の家には奄美大島から出て来た若いお兄さんたちがいて、うちも貧乏な家でしたが、食事に招いたりしてね。若い人がよく慕ってきてくれたような家だったんです」

 ある球界関係者が言った。「裏表が無く、人望が厚い。筋さえ通せば、意気を感じて情熱的に動いてくれる。扱いようによってはこんなに扱いやすい人間はいない、それに打撃指導には天性の才がある。田尾にはぜひまた現場に戻ってもらいたい」

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