敵地で田尾コールが起こった最終戦。「野球人生の頂点はあの胴上げ」 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 西武でもまた筋を通す行動は変わらなかった。キャンプのときに当時新人だった大久保博元を食事に連れて行き、22時の門限前に帰って来た。ところが、マネージャーがこれを咎めた。「門限前じゃないですか」と言うと、新人の大久保がまだ18歳で広岡達朗監督が怒っているという。「それなら先に18歳の門限を伝えておいて下さい。大久保の名誉のためにも僕は納得いきません」のみならず、広岡監督の部屋に「自分は間違っていますか?」と直訴しに行った。何のことはない「いいじゃないか、それで」と問題にされなかった。周囲が広岡監督に忖度していたに過ぎなかったのだが、理不尽だと思えば管理野球のカリスマ監督にも直接質すことも厭わなかった。「周りが気を遣いすぎるんですが、広岡さんは直に話すとしっかりと理解してくれるんですよ」

 そんな田尾であればこそ、結果に不満があるであろう三木谷オーナーとのダイレクトの会談を何度も望んだ。「僕も1年目の監督だし、オーナーからしたら不安だと思うんです。『何でも直接言って下さい』という話はしたんです。でも、1回も直接来られたことはなかったです」

 8月に2度目の11連敗を喫した。「次の試合に負けたら辞めて欲しい」という通達がオーナーから部下を介して来た。田尾はこれを球団の方針として受け止めた。「わかりました。では、その試合に勝ったらどうなるんですか」と問うと、「勝ったら今までどおりやってください」その一言で切れた。

「『お前ら、なんだその薄っぺらい考えは』と言ったんです。監督ひとり辞めさせるのが、ひとつの勝ち負けかと。俺はそんな薄っぺらい気持ちでこの仕事を受けてないぞ。俺は納得いかんから、今から三木谷さんに電話する。ちょっと来い、と言って、監督室に部下を一緒に呼んでコールしたんです」

 ところが、オーナーは電話に出なかった。「留守電にメッセージを入れて、それで切ったんです」それでも、コールバックはなかった。そして、これもひとつの巡り合わせだが、次の試合は偶然エース岩隈久志の登板日だった。勝利した。

 初年度の楽天には35歳以上のベテランが17人いた。この年齢までプロでいられたという実績のプライドと同時に、新球団だから拾われたという実力のギャップが横たわる。二軍にいるベテランに対しては扱いが難しいところであるが、そこは数字を残した人にだけチャンスを与えるということにした。

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