根尾昂はすべてをプラスにする天才。キャンプで二軍スタートも問題なし (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 高校入学とプロ入団では、ケタが違うと言えばそれまでだが、15歳で岐阜から大阪の名門に進み、まだ何もプレーしていないのに周囲は大騒ぎ。相当の重圧があったはずだ。当の本人は「周りがそんなに騒いでいる感じはわからなかったので......」と他人事のように振り返ったが、寮生活とはいえ、マスコミの視線、取材の多さなど、感じる部分は当然あったはずだ。

 しかも、そのなかで周囲が期待した"怪物ぶり"をすぐに発揮したわけではない。根尾が振り返る。

「高校に入学した時は『もっとできる』と思ってやっていたんですけど、思うようにできなくて......。『アピールしよう、アピールしなきゃ』と力以上のものを出そうと頑張っていました。でも、挫折ばっかりで、どんどん崩れていった感じでした」

 当時の根尾にガツガツ感や崩れた印象を持った記憶はないが、周囲の期待に追いついていないことは確かだった。実際、中田や森友哉(現・西武)が下級生の頃から強烈なインパクトを残していたことを考えると、正直、根尾の活躍は物足りなく映った。

 期待だけが先行して、気分的にしんどくなることはなかったのか。

「そうはならなかったですね。『なんでこんなにできないんだろう』というのはありましたけど、期待に対してどうこうというのはなかったです。できないのは力がないからで、今できることにしっかり集中しようという頭になっていきました」

 意識は常に自分へと向いている。

「負けたくないというのはいつもありますけど、そっちが優先にならない感じです。それよりも『もっとこうしたい』『ああしたい』という思いの方が強いです」

 自らの成長のために「いつまでにこれをできるように......」と、目標を設定して取り組んでいるとも語っていた。

「1カ月後とか2カ月後とか、もっと短い時は1週間後、2週間後にはこれを......という感じでやっています」

 そうした時間を積み重ね、最終学年となった時には周囲の期待に追いついた。

「いや、自分では盛り返した感じもなかったです。『もっともっとできる』と思っていましたし、『できることはあるのに』と常に思いながらやっていましたから」

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