社会人7年目は指名漏れに涙。
攝津正がプロ入りに8年要した意外な真実

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 そこまでの投手が、なぜプロに入るまで8年もの時間を要したのか......。

「そこまで褒めるなら、獲ればいいじゃないかって。たしかにそうなんです。でもね、いいピッチャーだから当然、上の人に試合を見てもらうじゃないですか。コントロールもいいし、変化球もいいし、試合もつくれる。ただ、ストレートのアベレージが140キロ前後。『このスピードで大丈夫?』ってなるわけですよ。『うわっ、すごいな!』ってびっくりするようなインパクトがなかった。仕方ないんです。当時のJR東日本東北には、公式戦のマウンドを任せられるような投手がほかにいなくて、試合のたびに攝津なんです。もちろん連投は当たり前。私もピッチャーだったからわかるんですが、先を考えてある程度セーブしたピッチングをせざるを得ない。そういう事情を抱えていたんですね、攝津は......」

 それでもアベレージ140キロ前後で9イニングを投げきれるなら、1イニング限定で使ったら150キロ近いボールを投げられるんじゃないか。そんな"仮説"を抱きながら、ずっと攝津を追い続けた作山スカウトの耳に、そんな仮説を裏付けるような事実が届いた。

「国際試合であるワールドカップで投げたら147キロを出したって......やっぱりなって思いましたよ。先のことを考えずに、1試合勝負ってことになれば、140キロ後半ぐらいは出せる。それを日本では見せられなかったんですね。それから私は『間隔を空けた先発や、短いイニングだったら、間違いなくアベレージは上がります』って、スカウト会議でアピールすることができました」

 秋田で生まれ育って、杜の都・仙台で腕を磨いた攝津。東北人の身上は、辛抱と粘り強さ、コツコツ重ねる不断の努力だ。そんなDNAをすべて継承してきたように、攝津はプロのマウンドでも粘り強く、チームのために力を尽くしてきた。

 2009年の新人王を皮切りに、最優秀中継ぎ投手を2回(2009年、2010年)。さらに先発に転向した2011年から5年連続2ケタ勝利。2012年には17勝5敗、防御率1.91で最多勝と沢村賞を獲得。まさに"絶対的エース"としてチームを支えてきた。

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