社会人7年目は指名漏れに涙。
攝津正がプロ入りに8年要した意外な真実

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 自分のピッチングスタイルを確立していて、勝負球もあって、大きな大会で投げてもきっちり試合をつくる。それほどの好投手だから、毎年ドラフト候補に挙げられていた。高卒出身のため解禁となる3年目から指名があってもおかしくなかったのに、いつまで経ってもプロから声がかかることはなかった。

 社会人7年目の時だ。この年、25歳と脂が乗りきっていた攝津は、シーズン中から好調を続け、日本代表としてマウンドに上がったワールドカップではエース格として4戦全勝。完璧なピッチングに、ある球団がドラフトでの指名を確約してきた。

 その年のドラフトは、社会人野球の日本選手権と時期が重なっており、攝津が所属するJR東日本東北の1回戦の日が、ドラフト当日だった。

 苦節7年、満を持してのドラフト指名と、登板予定を変更して球場で指名を待った攝津だったが、まさかの指名漏れ......。悔しさに涙した攝津だったが、その3日後、強豪のホンダを相手に5安打完封。まさに意地の熱投だった。

「悪いところはなかったですよ。コントロール、勝負根性、変化球の精度、それにチームを背負って投げられる心意気っていうんですかね。どんな試合でも一生懸命ひたむきに根気よく投げる。状況判断ができて、安定感もあって......間違いなく計算できるピッチャーだと思っていました。それは私だけじゃない。12球団の東北担当スカウトの誰もが認めていたと思いますよ」

 そう語ったのは、社会人球界の"レジェンド"になりかけていた攝津にプロへの道をつけたソフトバンクの作山和英(さくやま・かずひで)スカウトだ。東北福祉大からドラフト2位でダイエー(現・ソフトバンク)に進み、現役引退後、北海道・東北担当のスカウトに転じて、今年で25年を超える。

「よく辛抱したなぁと思いますよ。プロに入るのに8年かかっているんですから。高校の時から見ていますが、社会人に入った当初は力で勝負したがってね......それで随分と痛い目にあったから、自分で考えて、コツコツ努力して、テイクバックをコンパクトにして、あのコントロールを身につけたんですよ」

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