2019.01.11

「ポスト浅村」西武・山野辺翔。
補欠の高校時代からプロまでの成長過程

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

「ひと口に言えば、パッと見て目立つ選手じゃありませんでした。当時監督だった土屋(恵三郎/現・星槎国際湘南高校監督)さんも『大丈夫かなぁ......。メンバーに入れないんじゃないか』って心配していましたから。でも、練習は人一倍やっていました。こっちが指示しなくても、自分で課題を見つけて練習できる選手でした。結局、レギュラーにはなれなかったんですけど、印象深い選手でしたね」

 当時、コーチとして山野辺を指導していた片桐健一氏(現・桐蔭学園監督)が、懐かしそうに振り返る。

 そういう選手だったから、進路も桐蔭学園の選手にしては"地味"だった。「桜美林」という学園は、高校の方は1975年夏の甲子園で全国制覇を果たしているほどだが、大学の方は硬式野球部が首都大学野球連盟に加盟したのが2009年で、当時は二部からのスタートだった。その後2014年に一部に昇格し、2016年にリーグ戦初優勝と、歴史は浅い。だから、高校球界でバリバリ活躍していた選手はほとんどいない。

 桜美林大で山野辺と同じ時期にプレーしていた元チームメイトに、彼の印象を聞いてみた。

「頭のいい人だな、と思っていました。ウチにはほんとにいろんなタイプの選手がいるんですけど、たとえば練習後にちょっとふざけている人がいても、『バカだなぁ、アイツ』という感じにはならず、一緒にふざけておいて、あとできっちり自主練習をやっている。ある意味、協調性と主体性の両方を持っているような人でした」

 やらされる練習より、自分で課題を見つけて、それをクリアするための練習により力を注いでいたのだろう。その後、山野辺は社会人野球の三菱自動車岡崎に進んだが、見るたびにうまく、そしてたくましくなっていた。

 とくに印象に残っているのが、昨年の社会人2年目のシーズンだ。チームの3番に定着すると、ポイントゲッターとしてすっかり"怖いバッター"になっていたから驚いた。もう学生時代の小技のきく"器用な好打者"のイメージはすっかり消えていた。