監督交代で好機到来の成瀬善久。実は独立リーグ行きを決めかけていた (2ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

──そんな中で厳しい競争を勝ち抜いたわけですね。

「それは横浜高校時代の経験が大きかったと思います。練習はすごく厳しかったですけど、『継続は力なり』の大切さを学ぶことができたので。プロに入った後は、シーズンが終わったら自分で考えて調整をしないといけない。一軍に上がってからは『もっとやらなくちゃいけない』と意識が変わりましたが、オフでも野球のことを第一に行動する土台は高校時代に培われたものだと思います」

──その後はロッテで長く活躍されましたが、印象に残っている試合はありますか?

「ひとつは、横浜高校の大先輩である松坂大輔(現中日)さんと投げ合った2006年の西武との試合です。松坂さんは球界を代表するエースでしたから、『勝てたらうれしい』と思っていましたが、完全に力負けしました。間近で見る球は映像で見るよりはるかにすごくて、"平成の怪物"の恐ろしさを肌で感じましたね。

 もうひとつは、特定の試合ではないんですが、巨人戦には特別な思いがありました。子供のころから巨人ファンで、松井秀喜(現ヤンキースコーチ)さんが大好きでしたから、とくに東京ドームで先発する時は気持ちが昂りましたね。

 2010年の巨人戦初登板は、小笠原(道大・現中日二軍監督)さん、ラミレス(現・DeNA監督)さん、坂本(勇人)選手にホームランを浴びてノックアウト。でも、翌年からは連勝できました。初めて勝った試合の後に行きつけのお店で食事をしていて、『サービスです』と頼んでいないメニューを出された時に、巨人戦での勝利はそれほど価値があるんだなと思いました(笑)」

──その後、2014年にFA宣言してヤクルトに移籍しました。セ・リーグとパ・リーグの違いを感じることはありましたか?

「すごくありました。パ・リーグは、決め球を仕留めようとする打者が多いように思います。例えば、狙い球をチェンジアップと決めたら全打席で狙ってくる。結果は凡フライであっても"紙一重"で、『いつかは捉えられてしまう』という恐さがありました。

 一方のセ・リーグは、打てない球種を避けるか、"当てにいく"バッティングをする打者が多い印象です。それでも、神宮球場はセンターにフォローの風が吹いているので、ヤクルト時代は打ち取ったと思った打球がホームランになることも少なくありませんでした。神宮だけでなく、狭い球場が多いセ・リーグで、巨人の菅野(智之)投手があれだけ勝てるのはすばらしいです。仮にパ・リーグのチームで投げることになったら、どういう投球をするのか興味が湧きますね」

──ヤクルトでは4年間で6勝11敗、2018年は一軍での登板なしと苦しんだ原因も、リーグの違いにあったということでしょうか。

「そこは、生命線であるコントロールがうまくいかなくなったことが大きいです。いろんなケガをしてフォームを変えざるを得ないこともあって、徐々にコースが甘くなることが多くなりました。また、チームを移籍したことによる練習環境の変化も少なからず影響したように思います」

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