愛されて四半世紀。福浦和也が語る「最下位指名からの2000本安打」 (3ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

 しかし、多くの関係者は福浦の打者としての価値は数字以上のものがあると口を揃える。福浦が師と仰ぐ故・山本功児氏は生前「本来ならばもっと早く2000本を達成できる選手。ただ、どんなに腰が悪くても決して痛いとは言わずチームのために試合に出続けた」とよく口にしていた。

 福浦とともにプレーしたOB選手も「足がない福浦のヒットは、ほとんどが完璧に捕えたもの。同じ2000本でも価値が違う」と、打者として最大級の賛辞を送る。

 そんな福浦の25年の野球人生を以てしても「バッティングはわからないことだらけ」と言う。

「掴んだように思えても、すぐにすり抜けていく。若い時は『何とかヒットを打って一軍に残りたい』とただがむしゃらに喰らいつき、レギュラーになれば"打って当たり前"と見られているなかで結果を残していく難しさがありました。

 首位打者を獲った頃は『こう振れば、こう打てるんだな』とか、『こうやって力を抜けば、そこに落ちるんだな』という"ヒットを打つコツ"を掴みかけたことはなんとなくありました。振ればヒットになるような、いわゆるゾーンに入る感覚もありました。

 だけど、そう簡単に掴ませてくれるほど甘くなかったということですね。ベテランになってからは、なかなか思い描くような動きができなくなっていきますが、その世界を一度見てしまうと、またあの場所を目指そうとする。何度も試してはみたのですが、やっぱりなかなか。

 また、代打になったことで4打席あったものが1打席での勝負になり、対戦する投手はセットアッパーやストッパーになる。同じ"ヒット"ではあっても時代時代で、まったく違った意味があったと思います。年数を重ねていくうちに、1本の重みというものをより感じるようになりましたね」

 1本の安打を打つために若い頃はチームの誰もが認める練習量で力をけてきた。やがて年を重ねると、慢性的な腰痛や首痛など身体の不調と付き合いながら、ケガをしない調整や体調管理でコンディショニングに細心の注意を払ってきた。

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