いつか「AREA66」の後継者を。岡田幸文が故郷で目指す次なる夢 (3ページ目)

  • 永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro
  • photo by Kyodo News

 今年3月18日の巨人とのオープン戦。代走から途中出場した岡田は、9回表二死満塁の場面で、巨人・岡本和真の左中間寄りの打球を追いかけた。最後はダイビングキャッチを試みて打球に迫った岡田だったが、惜しくもグラブをかすめ、逆転の三塁打となった。

 結局、これが決勝点となりチームは敗れた。試合後、ひとりのコーチから「あの打球、お前だったら捕れただろう」という厳しい声を投げかけられた。

「あぁ、そうなんだ。以前はあれを捕れていたんだ。捕らなきゃいけない打球だったんだ......やばいな」

 球界一の名手と呼ばれてきた男が、初めて衰えを感じた瞬間だった。それ以降の試合でも、練習でも、以前と何かが変わっているのを岡田は肌で感じていた。

「打撃練習で守っていても、何かちょっと違うんです。昔だったら捕れていたなという打球が追いつけなくなっているし......その感覚は自分にしかわからないんですけど、そこが(引退の理由として)一番大きかったですね」

 9月上旬、球団幹部から呼び出された岡田は、その場で現役引退を勧められた。同時に何らかのかたちでチームに残らないかと打診されたが、即答はできなかった。自宅に帰り、アマチュア時代から連れ添ってきた妻に相談した。すると、妻はこう語った。

「どうせ野球を続けたって、あと1~2年でしょ。野球が終わってからの方が長いんだから、それが早いか、遅いかだけだからね」

 ショックを受けるというよりも、妻のあっけらかんとした態度に、岡田も妙に納得した。

 思えば、岡田はプロ入りする2年前の2006年に結婚。育成選手としてプロ入りを果たしたあの頃から、すでに覚悟はできていたのかもしれない。ならば、次のステージに向けて、1日でも早くスタートが切れるよう、決断は早い方がいい。だから、不思議と後悔はなかった。

「周りのみんなは『まだできるだろう』って言ってくれたんですけどね。その言葉だけでも本当にありがたかったです」

 多くのファンや関係者に愛されてきた笑顔で、岡田はそう言った。

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