悲劇の死! 元横浜の助っ人は
村田修一の心配をしていた「いいヤツ」

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

 それにしても、サッカー大国のオランダにあって、どうして彼は野球を選んだのだろう。きっかけは、小学校の体育の授業だった。

「本格的なものではなかったけど、野球のようなゲームをしたんだ」

 オランダの体育授業は、人気スポーツだけでなく、様々な種目が行なわれ、ファンミル曰く「柔道もやったことがある」という。

 ここで野球と出会ったファンミルは、地元のクラブチームに入ってプレーすることになる。オランダでは"部活"というものがなく、競技をしたい者は、クラブチームに入るのが通例となっている。なかには名門クラブが運営する本格的なアカデミーもあるが、ファンミルは卒業するまで、試合は週末、練習はウィークデーの2日間だけという「普通の高校生」として野球を楽しんでいた。

 日本で開催される"甲子園大会"に話を向けると、ファンミルは笑いながらこう言った。

「知ってるよ。日本の高校生は朝から晩まで野球ばかりしているんだろ? 僕たちとは大違いだね。僕が高校生のときは、週に2日ほど放課後にちょっとだけ練習して、それがない日は普通に遊んでいたよ。その分、勉強はしっかりできたかな(笑)。日本では授業中に寝る選手もいると聞いたことがあるけど、それはちょっと問題だね。でも、日本の選手はレベルが高く、日本でプレーするのは楽しかった。また戻りたいね」

 高校卒業後、フーフト・クラッセ(オランダ野球のトップリーグ)の強豪・HCAWに入団。そこでプレーしていたところをMLBのミネソタ・ツインズにスカウトされ、20歳でアメリカに渡った。

 マイナーに8シーズン在籍し、3Aまで上がったが、メジャーにたどり着くことはなかった。それでもWBCでの好投が認められ、育成選手として楽天と契約し、のちに支配下登録され一軍のマウンドにも上がった。

 その後、ツインズと再契約を結んだが、やはりメジャーの壁は厚く、現在はフーフト・クラッセの強豪でクローザーとしてチームを支えると同時に、ナショナルチームの主力として戦っている。

 いまだオランダ球界一の高給取り(といっても月に数十万円ほどだが......)として君臨しているファンミル。今後、国際大会で侍ジャパンの前に立ちはだかる可能性は大いにある。

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