プロを選ばず高校野球の名将へ。鍛治舎巧は母校で「革命」に取り組む (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

支えてくれる人の支援で高校野球は成り立つ 

 2016年4月14日、熊本を襲った大地震。3週間も練習ができなかったが、そのときが秀岳館野球部にとって転機になった。

「寮に入っている選手は親元に返しました。その後もレギュラーがなかなか戻ってこられない状況が続いていましたが、避難所の周りの掃除や廃棄物の処理などを、練習と並行してやりました。そのあたりから熊本のみなさんの見る目が変わり、支援者が一気に増えたんです。大きな契機でしたね」

 選手から「いつまで続けるのか」という声も上がったが、鍛治舎には「強いだけのチームではダメだ」という強い思いがあった。

「勝ちを求めるだけの野球部では、学校にとっても地域にとってもいけない。野球に専念させたい気持ちもあるけど、『みんなが困っているのに、野球だけでいいのか』と涙ながらに言ったら、選手もわかってくれました。そのうち、県内の強豪である熊本工業や九州学院などの地元の熊本市に行っても、『一緒に写真を撮って』『握手して』『赤ちゃん抱いて』と、言われるようになりましたね。本当にうれしかったです」

 同年のセンバツから4季続けて甲子園に出場し、目標とする「日本一」には届かなかったものの、チームを3季連続でベスト4進出に導いた鍛治舎は、2017年夏の甲子園の2回戦で広陵(広島)に敗れたあとに秀岳館のユニフォームを脱いだ。そして2017年12月24日、妻とふたりで秀岳館のある八代を離れた。

「3年9カ月住んだ八代を離れるときに、駅の改札口に入ったら、たくさんの方が集まってくれていました。唐揚げをつくってくれた惣菜屋のおばちゃん、対戦した高校野球の監督、保護者の方などなど。たくさんの人が送ってくれて、涙が出そうになりました。熊本に行ってよかったのはこれだなと思って。勝ち負けを超えたものがありました。やっぱり野球はグラウンドだけじゃない。支えてくれるみなさんの理解があって、支援があって、初めて高校野球は成り立つんですよね」

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