野村克也のコンプレックス炸裂。「巨人出身の森祇晶に負けたくない」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

森監督にはずっとライバル意識を抱いていた

――野村さんは、森監督のことをどのように見ていたのですか?

野村 向こうはどう思っていたかはわからないけど、変なライバル意識というのかな、そういうのがオレにはあった。「森には負けたくない」っていう思いはずっとあったよね。

――それは、森さんが巨人出身者だからですか?

野村 そう。オレ、そもそも巨人コンプレックスだから(笑)。子どもの頃から大の巨人ファンだったからね。彼はスカウトされて巨人に入団したけど、オレは12球団のどこからも声がかからず、南海にテスト入団。選手時代も、監督になってからも、「森には負けたくない」っていう思いはずっと頭の片隅にあったからね。

当時を振り返る野村氏 photo by Hasegawa Shoichi当時を振り返る野村氏 photo by Hasegawa Shoichi――1992年の日本シリーズについて伺います。当時、すでに黄金時代を迎えていたライオンズについて、「勝てる」と思っていましたか?

野村 思ってないよ。だって、当時の西武は全然ケタ違いだもの。そもそもあの年は、セ・リーグでヤクルトが優勝できたこと自体が奇跡だったんだから。10年以上も、5位、6位をうろうろしていた球団だよ? そんなチームが西武を倒して日本一だなんて、ずっとずっと遠い道のりだよ。

――でも、シリーズ開幕前に野村さんは「4勝0敗で勝つ」と言い続けていましたよね。

野村 そんなこと言ったっけ? でも、それは「負ける」と思っていたから言っているんだよ。勝つ自信があったらそんなこと言わない(笑)。下手したら「0勝4敗もある」って考えてたから。

――1992年の初戦は、杉浦享選手の代打サヨナラ満塁ホームランという劇的な勝利を収めました。これで、少しは手応えを感じられたのではないですか?

野村 手応え? そんなものは感じませんよ。オレはヤクルトにいる間は、一度も手応えなんか感じたことはなかったから。このときだって、西武を相手に「とにかく善戦しよう」「とにかく4連敗だけは避けよう」って、そんな思いだけだったと思いますよ。

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