2018.10.08

橋上秀樹のコーチングの原点は、
野村の教えと「4年間の接客業経験」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 ただ、橋上自身は引退後しばらく、野球とは無縁の世界にいた。ゴルフショップの経営に勤しんでいたのだ。

「商売するのも難しいと言われる関西圏で、店長として店に出て、接客をしていました。別にこちらに非がなくても、お客さんにクレームをつけられたら『申し訳ありませんでした』って、平謝りしないといけない状況が少なくなかったですね」

 店は甲子園球場からほど近い場所にあり、現役当時に副業として始めていたものが本業になった。当初は客商売の難しさを感じていたが、次第に相手が見えるようになったという。

「平謝りといっても、謝っているばかりではいつまで経っても話が終わりません。だんだんと、うまく相手の気持ちをなだめていくような、話の持っていき方が必要だとわかりました。あるいは、品物をお客さんに勧めるときにも、話の持っていき方が大事だと。たとえば、常連さんなら比較的、強めに押しても大丈夫。逆に、そうでない人は押しちゃダメだとか」

 店の経営が軌道に乗った2004年の秋。ヤクルト、阪神時代にコーチだった松井優典(まさのり)に誘われ、橋上は楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任した。新規参入球団の楽天には近い将来、野村を監督に招聘したい意向があり、二軍監督に就任した松井とともに"野村野球"を理解する人材として白羽の矢が立ったのだった(同年シーズン途中に松井とともに一軍コーチに昇格)。

 そして2006年に野村が監督に就任すると、橋上は07年からヘッドコーチとして"野村野球"を支えていく。そのときに大いに生かされたのが、4年間にわたる接客業の経験だった。

「選手はみんな個性があります。何事も一度に、全員にしっかり伝えるのは難しいものです。そこで個別に、この選手には少し話を多めにとか、この選手にはあまり言わずに、逆に聞きたいと思わせるように、とか。強弱、メリハリをつけられたのも、接客業の経験が生きたと思うんですね。だから、あの4年間がなかったら、私は長くコーチをできなかったと思いますし、そもそも球界に復帰することもなかったんじゃないか、と思います」