野村克也の選手起用に名参謀もビックリ。
「高津臣吾を抑えにしよう」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(8)

【参謀】ヤクルト・丸山完二 後編

(前編の記事はこちら>>)

「広澤の走塁」は、きちんと指示をしなかった私のミス

――14年ぶりにセ・リーグを制覇して臨んだ1992年の日本シリーズ。結果は3勝4敗でした。この年のシリーズで印象に残っているシーンは何でしょうか?

丸山 やっぱり、第7戦、広澤(克実)のスライディングかな?

――これまでお話を聞いてきた、西武の石毛宏典さんと伊原春樹さん、そして、当の広澤さんも「印象的な場面」としてこのシーンを挙げています。3勝3敗で迎えた第7戦、得点は1-1の同点。1アウト満塁の場面で、代打・杉浦享選手が放ったのはセカンドゴロ。ここでホームに突っ込んだ三塁走者の広澤選手がアウトとなりました。

丸山 僕はベンチで見ていて、何が起こったのか一瞬、わかりませんでした。当たり損ねのあの打球で、(西武のセカンド)辻(発彦)があの体勢から、まさかホームに投げるとは思わなかった。体勢を崩しながら捕球して、半回転しながらホームに投げた。その送球は高めに浮いて、(西武のキャッチャー)伊東(勤)がジャンプして捕球した。あの場面の広澤のスライディングは、本当に悔いが残るね。

当時の資料を見ながら、西武との日本シリーズを振り返る丸山氏 photo by Hasegawa Shoichi当時の資料を見ながら、西武との日本シリーズを振り返る丸山氏 photo by Hasegawa Shoichi――どのような点が「悔いが残る」のですか?

丸山 あそこは1アウト満塁だから、ライナーでのゲッツーが最悪な場面です。だから、そんなに慌ててスタートを切らなくてもいい場面。でも、試合は終盤で、どうしても1点が欲しい場面でもあるわけです。それなのに、僕を含めてベンチからは何も指示を出さなかった。今から思えば、「ゴロが転がった瞬間に、いいスタートを切れ」と指示を出すべきだったのかもしれないですね。

――打球を見極めて、ゴロだと判断した瞬間にダッシュする。いわゆる「ゴロゴー」ですね。

丸山 さっきも言ったように、ライナーだと最悪のゲッツーですから、ゴロかどうかを見極めてスタートすること。あの場面、ゴロになった瞬間に広澤がパッとスタートを切って、ホームに向かってダッと走ってくれれば......。ゴロゴー、抜けてからのスタート、ギャンブルスタートなど、いろいろケースに応じたスタート練習をやらせていなかったことの反省が......。今でもそのことは鮮明に覚えています。

―― 一方のライオンズは抜け目のない走塁が目立ちました。スワローズとは好対照だったという感は否めませんね。

丸山 まさに、うちが西武に劣っていたのはそういうところです。「打つ」とか「投げる」とかではなく、「積極的に次の塁を狙う」という姿勢が西武にはあって、ヤクルトにはなかった。そもそも、セントラルの野球がそういう野球ではなかったですね。

 でも、西武はシーズン中からそういう野球をやっていたんでしょう。だって、「日本シリーズだから特別なことをしよう」と思っても、できるものじゃないですから。それに比べて、我々はたまたま運がよくて日本シリーズに出られたという感覚。でも、この悔しさが翌年につながるわけです。

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