伊原春樹が分析。93年日本シリーズは飯田の返球が勝敗を分けた (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文・撮影 text & photo by Hasegawa Shoichi

両監督に仕えた伊原が語る「森と野村」

――伊原さんは2000年に阪神・野村克也監督の下で、守備走塁総合コーチに就任。森監督、野村監督に仕えた経験を持っています。両者の違いを伺いたいのですが。

伊原 東尾(修)監督の5年目のオフ(1999年)に解任されると、すぐに野村さんから連絡がきて、ホテルで会ったんです。そしたら、「お前は森のところで、どんな役目をしているんだ?」って聞かれたから、「サードコーチャーとして、走塁面はすべて任されています」と答えました。すると、「よし、わかった。すべてお前に任す」って言われたんで、「わかりました」って就任が決まったんだけど......結局は任されなかったよね。

――ペナントレースが始まってみたら、実際は違った?

伊原 違ったね。あの年、(ジェイソン・)ハートキーっていうしょうもないサードがいたんだよ。で、彼が出塁したときにそのときの投手のクセを伝えたんです。「いいか、足をグーンと高く上げたら走っていいから」って。なのに、ハートキーはクイックのときに走ってアウトになった。そうしたら、翌日に野村さんは報道陣を前にして「伊原の野郎が勝手なことばかりするんだ」って言っていた。それ以来、「サインはオレが出す」って、野村さんがサインを出すようになった。森さんなら、そんなことは絶対に言わないよね。

――森さんの下ではそういうケースはなかったんですか?

伊原 なかったですね。仮にアウトになって、腹の中では「伊原のバカ野郎」と思っていたとしても、「監督であるオレの責任だ」と、それを口に出すことはなかったです。森さんが監督のときには、ベンチからエンドランのサインが出ても、僕の判断で走らせないこともあった。ベンチに戻ってから、森さんに「どうしたんだ?」と聞かれて、「ちょっと不穏な動きがあったのでサインを出しませんでした。すみません」って答えると、「あぁ、いいよ」って、そんな感じでしたね。

――監督からの信頼度という点では森監督の方が大きくて、伊原さんとしてはやりやすかったわけですね。

伊原 そうですね。森さんは常に感情を表に出さない監督でしたね。でも、試合に勝って握手をすると、森さんの手は汗でべっちょりなんだよ。顔には出さなかったけど、相当緊張していたんだと思うよ。

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