西武と戦って広澤克実が得た自信。「巨人も広島もたいしたことない」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

「ギャンブルスタート」ではなく、「広澤スタート」

――ライオンズの石毛宏典さんは「チームリーダー」であることを明確に意識していたそうです。当時の広澤さんは、リーダーとしての自覚を持っていましたか?

広澤 いや、なかったですね。レギュラー選手としては確かに年長だったけど、このときのリーダーはやっぱり野村さんでしょ。

――当時のスワローズは野村監督がリーダーでもあった?

広澤 そうですね。僕は阪神時代に星野(仙一)さんの下で野球をしました。野村さんと星野さんは好対照なんです。星野さんは常に前にいて、選手たちがそれについていく感覚。でも、野村さんの場合は僕らの後ろに控えている感じなんです。選手たちの後ろで温かく、いや、温かいかどうかは別として(笑)、後ろから見守ってもらっている感覚なんです。「オレらに知恵はないけど、監督が後ろから授けてくれる」という感じ。僕らは、その知恵を実践していけばいい。

西武との日本シリーズを振り返る広澤氏 photo by Hasegawa Shoichi西武との日本シリーズを振り返る広澤氏 photo by Hasegawa Shoichi――ちなみに、ジャイアンツ時代に仕えた長嶋茂雄監督は、どんなタイプですか?

広澤 うっ、難しい質問だなぁ(笑)。うーん......長嶋さんの話はちょっと置いておきましょうか(笑)。

――では、あらためて1992年日本シリーズについて伺います。この年のシリーズで印象に残っている試合、シーンはありますか?

広澤 やっぱり、第7戦の私のスライディングの場面ですね。

――3勝3敗で迎えた最終第7戦。7回裏1-1の同点で、ヤクルトの1アウト満塁の場面ですね。代打・杉浦享選手がセカンドゴロで三塁走者の広澤さんがホームに突っ込む。セカンド・辻発彦選手の送球が高めに浮いたのをキャッチャー・伊東勤選手がジャンプしてキャッチ。判定はアウト。この場面は、後に物議をかもすことになりました。

広澤 いまだに、「お嬢さんスライディング」って言われますね。先日、あるテレビ番組で検証したら、私の足が先に入っていて、本当はセーフだったんだけどね。このスライディングがきっかけになって、いわゆる「ギャンブルスタート」が発明されたんです。だから、正式には「広澤スタート」って呼ぶべきだと思うんだけど(笑)。

――このスライディングは、後にさまざまなバッシングを受けましたよね。当時は、すべての責任を背負い込むような感じだったのですか?

広澤 うん、責任はすごく感じましたよ。今でもこのスライディングのことは引きずっています。あの打球、送球ではホームゲッツーなんかないのに、伊東の足を払いにいこうとしたんだよね。このスライディングが原因で負けたのは確かだから、ずっと責任を感じていました。第7戦が終わった後、しばらくの間は「セ・リーグで優勝しなければよかった......」という感情もありました。

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