2018.09.12

愚直に挑戦し続けた大家友和。
自身の壮絶野球人生を選手育成に活かす

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Jiji Press Photo

 懸命のリハビリもあって、再びメジャーのマウンドに上がった大家だったが、それまでの安定感を取り戻すことはなかった。2010年に日本(横浜ベイスターズ)に戻り、その年7勝を挙げるも、翌年は0勝。右肩の手術を受けるも、戦力外となった。

 所属チームが決まらないまま、2012年に突入し、ひとりでトレーニングしながらオファーを待っていた。結局、NPB球団から声はかからず、大家は独立リーグでプレーすることを決める。そこでこれまでのスタイルと決別し、大家はそれまで日本人で誰も成し得なかったナックルボーラーとしてプレーすることを決断する。

「毎日You Tubeでナックルボーラーの動画を見ていました。(数が少ないから)同じ動画を何回見たかわかりませんけど、とにかく見ました。いろんな握りを試しては投げる、その繰り返しです。たくさん練習しないと、おそらくこの感覚はつかめない。指から血が出たこともありました」

 試行錯誤の日は続いたが、ある日「これだ!」という感覚を大家はつかんだ。

「いろんな情報を得て練習していたんですが、あるときボールを押すというか、そういう感覚の話を聞いたことがあって……それまで僕のなかで、ボールを押すという感覚は持っていなかった。そこで試してみると、爪が引っかかるんです。だから短くしようと思ったのですが、いきなりやりすぎると痛いので、毎日ちょっとずつ、ちょっとずつ削っていったんです。だいぶ短くなったときに、爪に当たらないで人差し指と中指の先にボールが触れるような形になった。そのときに少しボールを押すという感覚がわかり、そこからすごく上達しました。これまでとはまったく違った感覚があったんです」

 その時だった。トロント・ブルージェイズが大家のナックルボールに気づき、2014年に5年ぶりとなるメジャーキャンプに招待したのだ。結局、開幕前にクビとなり、米独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュでナックルボーラーとしてプレーした