あの左腕エースが引退を「全然悲しくない」と思うほど痛いヒジの故障 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

 もしかしたら、普段からもっとヒジを使えばよかったのかもしれない。今振り返ると、過保護にしすぎたのかなとも思いますね。でも、当時はヒジをかばいながらの生活しかできなかった。故障は自分で乗り越えなければいけないもの。チームにもチームメイトにも迷惑をかけているのはわかっていました。「申し訳ない」という思いはありましたが、今できることをやるしかない。そう気持ちを切り替えることで、少し楽になったのは事実ですね。

──その頃はどんな思いでマウンドに上がっていましたか?

野村 できるだけ勝てる可能性を残しながら、中継ぎのピッチャーに交代したい。チームに迷惑をかけないことを心がけていました。自分のボールを投げ込むことだけに集中するしかなかったですね。

──バッテリーを組んでいた谷繁元信捕手は10代の時からよく知る間柄でしたね。

野村 シゲ(谷繁)はコンディションを見ながら配球を組み立ててくれました。でも、状態が悪い時は、どうにもしようがない。ヒジが痛い時にはガンガン打たれました。ごまかしながら投げていることはバッターも知っているので、もう抑えられなくなった。いつも不安で不安で仕方がなかった。ストライクを投げることはできましたが、腕の振りもスピードも全然で......。

──グラウンド以外の生活にも変化はありましたか?

野村 食事を根本から見直すことに決めて、野菜はすべて無農薬に、卵は烏骨鶏(うこっけい)にして、白米の代わりに玄米を食べるようにしました。キャンプ中から徹底してやりましたよ。いつから効果が出るのか、そもそも効果が出るかどうかもわからない。でも、やらないよりはやったほうがいいと思って。嫁さんには迷惑をかけました。キャンプ地に卵を送ってもらって、自分の部屋に電子レンジを置いて茹でて食べました。毎日のことなので、かなりストレスがかかりましたね。

──引退を決めたのはいつですか?

野村 2002年4月の時点でもう引退することを決めました。まだ開幕したばかりだったので「ちょっと待て」と慰留されたのですが、もう無理でした。

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