クビ寸前から虎の大エースへ。メッセンジャーを変えた「ジョーの助言」 (3ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

「ずっといいカーブがあったんです。ただ、ブルペンからマウンドに上がると、力で抑えなくてはいけない感覚があって......どうしてもストレートとスライダーに頼ったピッチングをしてしまっていたんです。実は、アメリカでプレーしていたときにあるコーチから『カーブは使うな』と言われたことがありました。とにかく『力で押していけ』と。だから、カーブは持っていたのですが、使うことはありませんでした。

 二軍にいる間、先発として一軍昇格のチャンスがあるとわかり、ジョーのアドバイスを生かしてカーブを多投するようにしたんです。そしたらいいピッチングができるようになって、先発として一軍に昇格することができました。今は4種類の球種を使っているのですが、(球種が)2つのときよりも断然、効果的です」

 阪神の助っ人として勝ち星を積み重ねていったメッセンジャーに、嬉しい出来事が待っていた。それは1964年に阪神で沢村賞を獲ったバッキーと知り合いになれたことだ。

「5年前、日本で40勝した頃だったと思います。私のもとに、一通の挑発的な手紙が送られてきました。その内容は『調子に乗るな! アメリカ人として100勝のオレの記録に届くのはまだまだだな』と。もちろん冗談なのですが、それ以降、勝利したりすると励ましの言葉をかけてくれます。すごく応援してくれていて、私にとっては大きな支えになっています」

 現在、バッキーはアメリカ・ルイジアナ州に住んでおり、今年の8月で81歳になる。バッキーしてみても、メッセンジャーの活躍を応援しているうちに大好きな阪神タイガースと再びつながることができた。

 ただ、ふたりは実際に会ったことはない。それでも手紙をもらったときに、メッセンジャーは神戸の自宅からテレビ電話でルイジアナにいるバッキーと連絡を取った。

 メッセンジャーは今年の8月で37歳になる。数年前、バッキーの100勝の記録を抜くには、30代後半になるまで投げ続けないと厳しいと自覚した。それからは体の手入れを入念に行なうようになった。

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