【イップスの深層】「難しいプレーは簡単なんです」と土橋は言った (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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 そして、今度はセカンドとして出場していくうちに、土橋はさらに手応えをつかんでいく。

「セカンドで試合に出られるようになっても、手首で強く引っかけるクセはちょいちょい出ていたんです。でも、試合に出ているうちにサイドからアンダーくらいの、ちょうどいい腕の角度をみつけました。これなら引っかけることも少ないし、多少引っかけても上にいくことはない。そんな感覚を見つけたことで、心理的に落ち着きました」

 こうして土橋はレギュラーへの足がかりをつかむ。二塁ベース寄りの打球に対しては、むしろ手首の強さが生きた。

「手首が強いから、二塁ベース付近からでも一塁に強いボールが投げられるんです」

 ただ、平凡な正面のゴロを捕球した後や、併殺プレーで二塁ベースカバーに入ったショートに送球する際、時には「引っかけそうだ」という感覚にとらわれることがあった。そんな緊急時のために、土橋はこんな対処法を編み出していた。

「引っかけそうなときは少し左肩を早めに開いて、体をそっちに逃しながら腕だけで投げると、引っかからないことに気づいたんです」

 もし"スローイングの教科書"があれば、土橋のこの投げ方はとても褒められたフォームではないはずだ。だが、同じ骨格、筋量、柔軟性、バランスを持った人間などいない。手首の力が並外れて強い土橋という野球選手にとって、この「力を逃がす投げ方」は送球難の特効薬になった。

「指導者はどうしても『いい投げ方』を教えようとしますよね。もちろん、最低限の基本は大事です。でも、選手が自分自身の体をコントロールすることが何よりも大事だと思います。自分の体の特徴にいかに早く気づいて、対処していくかですね」

 94年には106試合に出場し、打席数は前年より200以上も多い354打席まで増えた。翌95年は129試合に出場して初めて規定打席に到達し、打率.281、9本塁打、54打点。日本一奪取に大きく貢献する。いつしか土橋は「野村ID野球の体現者」ともてはやされる存在になっていた。その原点は、すべて守備にあると土橋は言う。

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