2018.05.02

松坂大輔が勝った日。森監督と交わした
「昭和みたいな男たちの会話」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

「監督には、1年かけて恩返していくつもりでいるので......やっと1つ勝てましたけど、できるだけ多くの勝ちを、チームに、監督に、つけたいですね。今回もまた、たぶん抹消じゃないかなと思ってますけど(苦笑)、そう遠くないうちに自分ではローテーションピッチャーとして中5日、中6日で回りたいと思っています」

 中6日、でなく、中5日、という言葉が口をついて出る。先発が100球でマウンドを降りられるか、6回も投げ切らんうちに後を託せるか。天の邪鬼な松坂は、みんながそうだからと言ってオレもそうだと決めつけるな、と子どもの頃から心の中で叫んで、突出した存在であり続けた。

"平成の怪物"と言われながらも昭和の香りがぷんぷん漂う、そんな投手人生――試合が終わって、松坂に勝ちがついた瞬間、チームメイトは誰一人としてグラウンドに飛び出すことなく、ダグアウトの奥にいた松坂の方を振り返ってハイタッチを求めた。そんな光景は久しく見た記憶がなかった。

「......確かにそうかもしれないですね。勝った瞬間、みんなの笑顔が見られて、僕も自然と笑顔になりました」

 松坂がドラゴンズで初めて勝った夜、河島英五さんの『地団駄(じだんだ)』という曲が聴きたくなった。

 河島さんはこの曲の中で、ヒジを痛めたピッチャーが若いバッターに挑みかかっていくさまを、切々と歌い上げている。当時、河島さんが思い描いていたのは39歳の村田兆治さんのことだった。

 あれから30年、この歌詞に相応しい37歳のピッチャーが、若い打者に挑みかかって、勝った。そして、天の邪鬼なはずの松坂は、この日ばかりは勝利に対して素直に「喜びを爆発させるのもどうかと思ったけど抑えられなかった」と言って、心の底から笑っていた――。

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