松坂も続くか。プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング1位~5位 (4ページ目)

  • キビタキビオ●文 text by Kibita Kibio
  • photo by Kyodo News

2位 荒木大輔(元ヤクルト、横浜)

【ケガの内容:右ヒジ痛】
【復帰後の主な成績:4年49登板、11勝12敗2セーブ】

苦難のリハビリを経て4年ぶりの復活

 手術が成功したにもかかわらず、その後のリハビリで苦労した投手もいる。早稲田実業時代に甲子園のアイドルとして騒がれ、松坂大輔の名前の由来にもなった荒木大輔がそうだ。

 プロ入り後、順調に勝ち星を積み重ねて1987年には2ケタ勝利を挙げた荒木だったが、1988年のシーズン中に右ヒジ痛に襲われ、同年8月にトミー・ジョン手術を受けた。

 ところが翌年、リハビリを急いだために移植した腱を切ってしまい、再手術を余儀なくされる。さらに、走り込みのしすぎで椎間板ヘルニアを発症するなど、連続して不運に見舞われた。いつまで経っても復帰のメドが立たず、多くのヤクルトファンが「不憫(ふびん)だ」と同情の声を上げるほどだった。

 それでも苦境に屈しなかった荒木は、約4年ぶりに奇跡の復活を遂げる。

 野村克也監督率いるヤクルトが14年ぶりのリーグ優勝を争っていた1992年9月、ついに一軍に昇格した荒木は、リリーフとして1541日ぶりに神宮球場のマウンドに上がる。1点ビハインドの7回2死一塁という状況で、当時の広島の主砲・江藤智をフルカウントから三振に斬ってとると、その後、古田敦也の本塁打でヤクルトが逆転勝利。物語のような復活劇を演じた。

"救世主"荒木の出現により息を吹き返したヤクルトは、その勢いでセ・リーグを制覇。「ID野球」による野村ヤクルトの黄金期は、この年から始まった。

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