松坂も続くか。プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング1位~5位 (3ページ目)

  • キビタキビオ●文 text by Kibita Kibio
  • photo by Kyodo News

3位 伊藤智仁(元ヤクルト)

【ケガの内容:右ヒジ靭帯の損傷、右肩痛】
【復帰後の主な成績:6年113登板、30勝25敗22セーブ】
【獲得タイトル:1997年・カムバック賞】

伝説になった悲劇の投手

 新人時代の無双ぶりと引退時の悲壮感によるギャップで、伝説的な「悲劇の魔球スライダー右腕」として語り継がれているのが伊藤智仁だ。

 プロ入り1年目となる1993年の伊藤は圧倒的だった。150キロ級の速球と、プロの右打者が思わずのけぞったボールが「ストライク!」とコールされるほど大きく、速く曲がる高速スライダーで、オールスター前までに7勝を挙げた。

 だが、1試合で200球近く投げることもあった伊藤は、右ヒジ靭帯の損傷により戦線を離脱。前半戦の活躍だけで新人王は獲得したものの、翌1994年のキャンプで今度は右肩を痛めて手術を余儀なくされた。

 1996年に一軍に復帰し、リリーフとしてカムバック賞を受賞したのは1997年のこと。その間、ヤクルトファンだけでなく野球ファンの誰もが、伊藤が快投する姿を心待ちにしていた。

 1998年からは先発に復帰し、2000年まで3年間はローテーションを維持。しかし右ヒジや右肩の痛みが完全に癒えることはなく、一軍での登板は2001年が最後になった。投げた勢いで亜脱臼してしまうほど関節が緩かった右肩は、通算で3度の手術が施され、血行障害の手術もしたが完全復活には至らなかった。

 実質的に最後の登板となった、2003年のイースタン・リーグの試合で投げたストレートの球速は109キロ。球団から何度も引退勧告を受けながら、年俸の大幅減額を受け入れてまでつらぬいた現役への挑戦は、ここで終わりを遂げた。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る