2018.04.20
【イップスの深層】
土橋勝征が悩んだ送球難。
「でも僕はイップスじゃない」

- 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
- photo by Jiji Photo
今となっては意外だが、土橋が一軍へとピックアップされるきっかけは守備ではなく、打撃だった。入団5年目の1991年、当時の野村克也監督が視察に訪れたファームの試合で、土橋は大活躍を見せる。
「たまたま打って目立った試合を野村監督が見て、『あいつ、外野できないのか?』と言ったらしいんです。当時は右打ちの外野手がいないというチーム事情がありました。外野はやったことはなかったんですけど、練習してみたらそこそこできたんです」
プロの世界にショートで入るような選手は、他のポジションに回されてもある程度はこなせてしまうもの。土橋は「つぶしがきく」と表現したが、ドラフト時にショートの需要が高いのはこのためだ。
チーム事情で外野に回された土橋だが、本人にとって幸運だったのはスローイングのミスが目立たなくなったばかりか、むしろ送球難がみるみるうちに改善されたことだ。
「外野は内野ほどピンポイントにコントロールしなくても、『だいたいこのあたり』という感覚でいいじゃないですか。たとえばレフト線の打球を捕って、二塁までノーバウンドで投げようと思えば投げられるけど、ワンバウンドならストライクでいく。そうやって感覚をつかんでいきました」
そして、外野を守っているうちに、土橋は自分のスローイングに決定的な問題があったことに気がつく。
「僕は人よりも手首が強かったんです。だから送球も手首を生かしてピュッと投げていて、ときどき引っかけてしまうのがクセになっていました。でも、外野だと距離が長いから手首だけでは投げられないじゃないですか。下半身を使って投げないと届かない。そこで初めて、自分が下半身を使わずに手首だけで投げていたことに気づいたんです」
その欠陥は、長年悩まされた送球難を克服するヒントになった。その後は野村監督に重用されたこともあって、土橋は飛躍的に出場機会を増やしていく。
しかし、送球難は完全に治りきったわけではなかった。その後も、長きにわたる現役生活を通じて、土橋は人知れず苦闘していたのだ。
そして土橋が自身を「イップスではない」と考えるに至った理由を知るためには、その後の土橋の物語も紐解いていく必要がある。
(つづく)
※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。