ドラフト1位が30歳で戦力外。
片山博視が諦めずに語っていたこと

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 西田泰輔●写真 photo by Nishida Taisuke

"ひと区切り"のすっきりした笑顔ではなく、この先が楽しみでしょうがないというような笑顔。

 片山には、個人的に懐かしい思い出がいくつもある。その名前を初めて聞いたのは、彼が中学3年のときだった。兵庫のある高校の監督が「"淡路の怪物"が、今度、報徳学園に入るみたいですよ」と教えてくれたのだ。片山は三原町立(現・南あわじ市立)三原中学3年のときに、エースとして横浜スタジアムで行なわれた全国大会に出場。関東の高校野球関係者からも注目されていた超大型左腕だった。

 報徳学園入学後は1年から経験を積み、2年のときには春夏連続して甲子園に出場。そのなかで片山を見るたびに魅了されていったのは、投手ではなく打者としてだった。3年になると4番を打ち、スケール感のあるバッティングを披露。当時のスカウトのなかにも「打者・片山」を評価する人は多かった。

 逆方向にも一発を打てる長打力に柔らかなバットコントロール。もし打者に専念し、体ができてくれば、どれほどのバッターになるのか......そんな夢を見させてくれる素材だった。

 一方で、投手としても3年夏の兵庫大会で1試合17奪三振の快投を見せるなど成長。2005年に高校生ドラフト1巡目で指名した楽天は、投手としての片山を高く評価していた。

 プロ3年目の2008年に2勝を挙げ、2011年には中継ぎを中心に59試合に登板。その後も一軍の戦力として活躍したが、2014年に左ヒジ痛を発症。結局、この年は4試合だけの登板に終わる。

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