通訳になるのが夢だった日本ハム右腕。戦力外→国際担当で憧れの世界へ (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 日に日に英語が好きになり、中学時代は「英語のテストで90点以下は取ったことがなかったです」と嬉しそうに教えてくれた。

 だが、高校で本格的に取り組んだのは野球だった。中学時代、サード兼ピッチャーで活躍していた榎下は、鹿児島工から推薦の誘いがあり決断。しかも鹿児島工に普通科はなく、授業の中心は建築と土木。榎下は「もっと英語を勉強できると思ったのに......結構ショックでした」と振り返ったが、おかげで野球に集中できる環境が整い、3年夏には甲子園出場も果たした。

 当然、「いずれはプロで......」という思いが生まれたが、その一方で榎下の気持ちを揺るがす2つの出来事があった。どちらも高校日本代表に選ばれたことがきっかけだった。

「田中や斎藤らとチームメイトになって、やっぱりコイツらはすごいなと。こういう人間がプロに行くんだと思いました」

 同じブルペンで投球したが、ボールのすごさと意識の高さを目の当たりにし、はるか先に同級生がいることを肌で感じた。

 そしてもうひとつ、短期間だがアメリカで生活したことで「高校時代、閉じ込めていた気持ちがよみがえった」とも言った。

「アメリカの雰囲気がすごく良くて、『やっぱり英語をしゃべりたい』となったんです。あとレセプションパーティーがあったんですけど、そこで言いたいことがまったく言えず、悔しかったというのもありました。相手が言っていることは何となくわかるんですけど、伝えることが全然できなくて......また英語をしゃべれるようになりたいって強く思うようになったんです」

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