光山英和コーチが手がけたDeNA捕手陣、
球界ワーストからの大改造

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by(C)YOKOHAMA DeNA BAYSTARS

 まして、68個目の暴投を記録した9月29日の阪神戦は、当時2年目だった嶺井博希のサヨナラ捕逸で敗れていた。「暴投も捕逸も防げるもので、捕手のミスは指導責任です」と試合後に当時の担当コーチがコメントした。そんな捕手陣の惨状を見る機会があったから、光山は「おもしろい」と思ったのだろうか。

「いや、ほぼ見てなかったです。2011年から3年間、西武でコーチを務めさせてもらって、そのあとにテレビ局で解説の仕事をさせていただいたのですが、それもパ・リーグの試合中心でした。だから、セ・リーグの野球を見るのは交流戦ぐらいだったんです。昔、現役時代にはベイスターズにも在籍していたんですけど......最近はあんまり見る機会がなかったですね」

 実はベイスターズが古巣でもある光山は、1983年、大阪・上宮高3年時にセンバツ甲子園出場。同年のドラフト4位で近鉄に指名されてプロ入りし、中日、巨人、ロッテ、横浜と渡り歩き、最後は韓国プロ野球のロッテでプレーしている。13年間在籍した近鉄では野茂英雄とバッテリーを組んだ時期もあったが、移籍を繰り返すなかで出場機会も減少した。

 それでも19年間と長く現役生活を過ごし、引退後は野球解説者の傍ら少年野球チームの指導にも携わった。西武では一軍バッテリーコーチを務め、2年目の途中から作戦コーチも兼任した実績の持ち主。15年オフの秋季キャンプで初めてベイスターズ捕手陣に接したときも、最初の方針は決めていたという。

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