高校3年間ベンチ外からドラ3。ヤクルト蔵本治孝「無名選手に夢を」 (2ページ目)

  • 高木遊●文・写真 text&photo by Takagi Yu

 それでも蔵本に引退という選択肢はなかった。「大学でもう1回頑張ろうという気持ちでした。賢くもないですし、僕には野球しかないと思いました」と振り返る。そして青木監督もその気持ちに応え、数校の大学を勧めてくれた。そのなかで嬉しい「初体験」あった。

 はじめに練習参加した岡山商科大で熱心に勧誘を受けたのだ。高校3年間、日陰にいた蔵本にとってそれは格別嬉しく感じられるものだった。

 大学入学後、1年から登板機会を得たが、徐々に右ヒジの状態が悪くなった。そこで2年の秋季リーグ終了後にトミー・ジョン手術(側副靱帯再建手術)を受けることを決断。蔵本はその手術日(11月9日)のことを今でもはっきり覚えている。

 手術は成功に終わったが、そこから1年以上は気の遠くなるようなリハビリに明け暮れた。当初はグラウンドに向かうのさえ憂鬱になった。

「ボールを投げに大学に来たようなものなのに、投げられないというのは......ストレスというか、練習に出るのさえ、(他人の)キャッチボールを見るのさえ嫌でした」

 それでも「もう1度投げる姿を見たい」と言ってくれるチームメイトや家族の存在が離れかけた情熱をなんとかつなぎ止め、自身も手術の成功例を調べて前を向いた。また、肩の可動域を広げるためのトレーニングや体力・筋力の強化、後輩への指導など、野球と向き合うことから逃げずに右ヒジの回復を待った。

 そして、今春に蔵本はリーグ戦のマウンドに帰ってきた。3月から急ピッチで仕上げて、1回戦の近藤弘樹(楽天ドラフト1位)に続く2回戦の先発の座を掴。3勝2敗防御率2.05とまずまずの成績を残し、エース近藤の7勝1敗という大車輪の活躍もあって、全日本大学野球選手権出場を決めた。

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