明かされる日本シリーズ秘話。野村「ID野球」の陰に仰木監督の友情 (4ページ目)

  • 木村公一●文 text by Kimura Koichi
  • photo by Kyodo News

 いずれにしても、私がコーチをしてきたヤクルト、近鉄では、基本的に日本シリーズのデータはあくまでも相手の傾向であり、判断は選手に任せていた。つまり、チームとして狙い球を絞るといった作戦はとらなかった。

 そして当時の西武には伊東勤という捕手がいた。彼ほど"わからない捕手"もいなかった。まずデータを見ても、クセがまったくないのだ。捕手によっては"続けの○○"というように、同じ球種を2~3球続けるタイプがいる。逆に、2球続けたら、次は必ず別の球種に変える捕手もいる。そういうのはデータを見れば、大体わかってくるものなのだが、伊東はわからなかった。シリーズに入ってもそうだった。

 93年の日本シリーズのことだ。初戦、2戦目とヤクルトの連勝で迎えた3戦目。5回ぐらいだったと思うが、野村監督が「おい、伊東(配球を)変えてきてるな」と、ぼそっと問いかけてきたことがあった。私も「はい、変えてきましたね」と答えると、野村監督は「出るか?」と聞いてきたのだ。"出る"とは、何をどう変えてきたのか、その傾向を洗い出し、新たなデータを出せるかという意味だ。

 私は「そんなの無理です。それにこの1試合だけですし」と答えるしかなかった。おそらく無理ということは野村監督もわかっていたはずだ。仏頂面で黙り込んだときの野村監督の表情は、今でも忘れない。

 伊東は明らかに3戦目の途中から配球を変えてきた。しかし、変えたという事実はわかっても、その配球を予測する"根拠"が見つけられなかったのだ。それでは対策は立てられない。

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