手術から1541日の空白。それでも荒木大輔は、もう一度投げられた (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──1990年に野村克也さんが監督に就任してから、チームは変わりましたか。

「私が手術する前とは全然違うチームになっていました。ロッカールームではいつもの和やかなスワローズなんですよ。ガヤガヤうるさくて、ゲームをする選手も、将棋を打つ選手も、バカ騒ぎしているヤツもいる。みんな個性があって、まとまりのないチームなのに、ユニフォームに着替えると、ピーンと糸が張ったみたいな緊張感が生まれる。オンとオフがはっきりしたチームでしたね。1992年に一軍に戻ったときに、そう感じました」

──古くからチームにいる荒木さんにとっては不思議な空間ですね。

「勝手が違いました。もちろん、知っている顔がたくさんいて、ロッカーの雰囲気はそれまでと一緒。なのに、ユニフォームを着た瞬間に雰囲気が一変しましたから。そういうのはBクラスの常連だった時代にはなかったこと。野村監督になって、スワローズは本当に変わりましたね」

──荒木さんは1993年、17試合に先発登板して8勝4敗、防御率3・92という成績でチームの連覇を支えました。スワローズは勢いに乗り、西武ライオンズを下して日本一に登りつめました。荒木さんにとって、初めて経験する日本一です。

「1992年に対戦したときのライオンズには勝てる気がしませんでした。当時はセ・リーグとパ・リーグの交流戦もなくて、相手の情報が少なかった。いつも日本シリーズで勝っているライオンズのイメージしかありませんでした。その年は最後まで追い詰めたけど勝てなかったのですが、翌年は相手を見下ろしていました。1993年はまったく負ける気がしなかったですね」

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る