荒木大輔が振り返るトミー・ジョン手術。日本で3人目に迷いはなかった (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──それが、1988年シーズン途中、8月にアメリカでトミー・ジョン手術(ひじの側副靭帯再建手術)を受けることになったのはなぜですか。

「先発投手は登板した翌日に肩やひじを休め、その次の日にキャッチボールをするのですが、1988年にひじを痛めたあとは、それができませんでした。ローテーションを1回飛ばしてもらっても、まだ投げられない。自分では、腱が切れたとか痛めたという感覚はありません。

 それでも、なかなか張りがとれないため国内で診察を受けましたが、『これは疲労性だから』と言われてしまう。1カ月たっても、2カ月たっても元に戻らないので、アメリカのフランク・ジョーブ博士のところに行ったのです。すると、『もう腱がないよ。でも、手術すれば治るから』と言われて、すぐに手術することに決めました」

──その頃、日本のプロ野球でその再建手術に成功した選手は2人しかいませんでした(いずれもロッテオリオンズの投手だった三井雅晴と村田兆治)。手術への不安や迷いはありませんでしたか。

「私は『手術します』と即答しました。同行したトレーナーには『じっくり考えろ』と言われましたが、『いくら考えても同じです。投げられないなら野球をやめるしかありません。やめるか手術するかのどちらかなら、手術を選びます』と。村田兆治さんの成功例もあったので、きっと復帰できると思いました」

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