広島カープ・クレート通訳に、お立ち台でないところで話を聞いてみた (2ページ目)

  • 寺崎江月●文・写真 text & photo by Terasaki Egetsu

──ご家族はいるのでしょうか?

「ドミニカに妻と子供2人がいます。だから、シーズンオフにしか会えません」

──ブルペンキャッチャーとして日本に来たということですが、一番苦労したことは?

「日本語は、そんなに困らなかったです。う〜んと、すごく苦労したのは練習時間です。 いっぱい、たくさん長かったです!」

──日本に来るまでは、そんなに長い練習はしてなかったんですか?

「カープアカデミーはそんなに練習、長くなかった。朝9時半に始まって、長くても午後2時には終わっていました。それでも、きつかったです! はい」

──ブルペンキャッチャーとして印象に残った投手はいましたか?

「右ではマエケン(前田健太)、左なら齊藤悠葵(ゆうき)。2人のストレートは武器でした。まるで夢を見ている感じでした。だけど、悲〜しいのは、黒田さん。あの黒田さんの球を一度でもいいから、え〜と、受けてみたかった......」

──日本に来てから、親切にしてくれた恩人はいますか?

「今はカープにいないけど、相澤寿聡君(あいざわ としあき・元投手)、そして山中達也君(やまなか たつや・元投手)の2人。なかでもいちばん日本語を教わったのは相澤君です。お食事もジャンジャンお誘ってもらいました。今でも感謝します!」

──ブルペンキャッチャーだったクレートさんが、球団通訳になったきっかけは?

「去年、ドミニカのカープアカデミーからピッチャーが来たとき、彼にアドバイスしてたら、気づいたら通訳が本業になっていました(笑)。英語もしゃべれるけど、やっぱりスペイン語の方が得意なんです」

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