「3-2から変化球を待てるか」で外国人選手が日本で成功するかわかる (4ページ目)

  • 木村公一●文 text by Kimura Koichi
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 フリー打撃では快音を発していたが、練習試合が始まると途端に打てなくなった。当然、本人は自分の欠点を自覚できていなかった。「このままでは公式戦に入って影響が出る」と思った私は、小川淳司監督(当時)に断り、フォームをいじることにした。

 キャンプ開始から3週間ぐらい経った頃だったと思う。人の言うことを聞かないバレンティンが意外なほどこちらの指摘を受け入れ、真剣にスイング改造に取り組んだのだ。その後、まさかホームランの日本記録を更新するとは夢にも思わなかったが、バレンティンも日本野球を受け入れたひとりだ。

《伊勢氏が巨人でコーチを務めていた2007年には、ロッテから移籍してきた李承燁(イ・スンヨプ)がいたが、彼はパ・リーグとは異なるセ・リーグの配球に頭を悩ましていた。その結果、バッティングフォームを崩してしまった。》
 
 スンちゃん(李承燁)はホント真面目な選手で、いつも自分のスイングを気にしていた。だから、いつも私の顔を見るなり、「どうですか? フォームに問題はないですか?」と聞いてきた。

 彼の場合は、(相手の)内角攻めを意識するあまり、得意ゾーンである真ん中から外の球もミートできなくなっていた。そこを矯正するのが、最大のポイントだった。

 打撃練習ではいくつかのポイントをチェックし、よければOKサインを送ってあげる。そうすれば彼は安心して試合に臨める。いわば、私の役目は精神安定剤のようなものだった。それでも打撃というものは日々、変化するものだ。だから、毎日のようにトスバッティングに付き合い、フォームのチェックには細心の気を配った。

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