追悼・上田利治──。現役わずか3年も、情熱で歩んだ「名将ロード」 (7ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 この取材のあと、別れ際に「今度は(私の)家でゆっくり話しましょう」と上田は言った。その言葉に甘え、翌年、連絡させてもらった。日程も決まり、イチローの話も含め、再会を楽しみにしていたところ、予定の2日前に「ちょっと体調がよくなくて......また、あらためて」という連絡が入った。その後はタイミングを逃し続け、結局、再会は果たせなかった。

 優れた理論を武器に徹底して勝ちにこだわり続け、また豊かな人材を数多く育て上げた。「知将」「闘将」「育将」――上田はすべてに当てはまる稀有な指揮官だった。

 頭のなかに、少年時代に通った西宮球場の戦いの風景が何度も蘇ってくる。上田とのしばしの別れである。合掌。 

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