2017.06.30

【イップスの深層】
解雇寸前の岩本勉をエースに改造した
2人のコーチ

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 そんな岩本だったが、プロ6年目の「克服宣言」の後もイップスの波は突発的にやってきた。1998年にはオールスター戦に初出場。夢の大舞台に立って、岩本の足はガクガクと震え、そして止まらなかった。

「うれしさなのか、それとも怖さなのかわかりません。キャッチャーが伊東勤さん(当時西武)ということもあったのかなと。気づいたらひとりのバッターに対して、球種を全部投げさせられていて、もう丸裸ですわ(笑)。さすが伊東さんやなと。でも、そういうことをしないとガチガチで、まともにボールを投げられなかったんやと思います」

 キャリアを積んでいくうちに、たとえストライクが入らなくても、変化球でなんとかごまかすテクニックも身についていった。

 別の機会では、マウンドで震えが起きたときに「何やっとんねん。死ぬ気でいかんかい!」と自分に強く言い聞かせ、思い切り腕を振ったこともある。極限状態でアドレナリンが出るのか、突然症状が治まることもあったという。

 しかし、2000年以降は相次ぐ故障に苦しめられた。晩年は上半身も下半身も満身創痍。まさにボロボロだった。

「自分の体が動かなくて、思ったようなパフォーマンスができなくなってきた。ボールが先行して、『アカン、もうボール2やんか』と気づいた時点で(イップスが)来ているんですよ。今までやってきた自分の名前と、周りに対するカラ元気でどうにかしのいでいたんですけど、まあ無様でしたね。変化球やったらどうにかサマになるという逃げ道も覚えていましたが、もうバッターもすぐわかりますから。『それしか投げられへんのやろ』と、パカーンと打たれる。最後の2年くらいはそんな感じでした」